盛岡のお盆行事

迎え火・送り火

盛岡市内では昔から絶えることなく先祖のお盆行事として、各家々で、迎え火、送り火が行なわれてきました。戦前までは、町内で申し合わせをして、道路の中央で、一斉に束薪で焚かれてきました。しかし、戦後、人口流出、世代交代、車社会が進む中で、急速に減少していきます。また、道路上ではできなくなり、各家々の軒下で焚くことになります。このような中、鉈屋町界隈では、夕方暗くなると14、15日の迎え火、16日の送り火が、町内で一斉に焚かれる風景を見ることができます。

盛岡のお盆行事 送り火・迎え火
盛岡のお盆行事 黒川さんさ

黒川さんさ踊りの門付け

14日夜には、焚き火の中で、黒川さんさ踊りの門付けが行われます。

門付けは、鉈屋町のような街道筋の入口に発達した町場では町場と農村との交流の象徴として特に大切にされてきました。戦後の農地解放、その後の流通の近代化、旧市街地の衰退の中、農村との関わりが薄れ、道路の車優先化も相まって、昭和40年代以降、ほぼ消滅したと言って良い状態です。

伝統さんさは、お盆に神社等の境内で踊っていいたものが、地域の家を回って供養する家周り、さらに踊り組が、盛岡城下の商家に門付けするようになります。「魅せる芸」として、厳しい修行に堪えた踊り連中が伝承を担ったため「連中参差(むらじさんさ)」とも呼ばれています。この連中参差のひとつが黒川さんさ踊りです。由来は、多くのさんさ踊りが三ツ石神社の悪鬼退散の祝いを由来とするのと異なり、平安後期・前九年の役での、関東武士の戦勝祈願の踊りから、家内安全、五穀豊穣の祈りをこめて踊り継いできたと伝えられています。高度な技術を要する古風色濃い踊りは伝統さんさの花形として部落の誇りとして大切に伝承されてきました。

4人で組む「4つ踊り」など、ほかの踊り組にはない高度な組踊りを持ち、腰を 低く保ちながら上体を捻り曲線で踊るダイナミックな至芸として県内外に多くのファンを得ています。踊り組は太夫、唄かけ、太鼓打ち、笛吹き、道化役一八、踊り手、世話役で構成し、踊りは輪踊りが基本で、33種あったと伝えられ、提灯を持った太夫を先頭に「歩き太鼓」で入場、輪ができ「庭ならし」から始まり、「引き庭」で踊り収めます。

舟っこ流し

16日の精霊送り行事です。各町内会等で作られた造花や五色弊で飾られた舟を、火をつけて北上川に流し送る伝統行事です。その後、灯ろう流し、山梨県南部町由来の投げ松明、 花火大会が行われます.
舟は各町内から子供たちによって町内周りをして、明治橋上流に集められ, 儀式のあと有志がひいて一艘ずつ川へ流され, 火をつけます. 燃えながら流れる舟は明治橋で燃えつきます.
舟っこ流しは, 今からおよそ 280 年前の享保年間に, 盛岡藩四代藩主・南部行信の七女・麻久子姫が 川施餓鬼 (かわせがき) の大法要が始まりとされています。その百年後、1815 年に津志田遊郭の遊女たちが乗った舟が氾濫した北上川で転覆し, 溺れ死んだ霊を慰めるため, 舟に位牌と供物を乗せて流すようになり, 以後盛んに行われるようになりました。今では祖先の霊を送り, 無病息災を祈る行事となっています

盛岡のお盆行事 舟っこ流し